2010/02/26

ルノアール兄弟「獣国志」 - 三国志関係のまんが その6

この作者ことルノアール兄弟の最初の単行本(アッパーズKC, 全1巻)、「獣国志」という題名の読み方は『じゅうごくし』。
その題名を見て思うが。むかしの劇場アニメの名作に『わんわん忠臣蔵』(1963)なんてのもあったので、動物キャラクターが三国志をやったって、別に悪いということはなさげ。ただし今作「獣国志」は、そういうストレートな作品では、ぜんぜん『ない』。
じゃあどういうものかということを、筆者が説明したくもない。あ、説明するけど。

にしてもこれは、ゆうべ寝る前に布団の中から手を出したら、ぐうぜんさわってしまった本にすぎないのであり。確か1年くらい前に買って読んだものなんだけど、『イエス、童貞フォーエバー!』的なギャグまんが…ということだけ憶えていた。

という、「獣国志」に関して『三国志』という部分がまったく印象に残ってなかった理由。いまなら分かるが、それは初読時の自分が、三国志をほとんど知らなかったせいだ(!)。
だから西武ドームに居を構えた董卓が、球場のパートの呂布子おばちゃんに殺されるというギャグが、まるっきり通じていなかった(!)。さらには、劉備がパンツの中からブツを取り出して言う、『コイツは オレの 愛息 劉禅!』というセリフさえ、さっぱり意味不明だった(!)

…無理にでもこの場を何とか言いぬけると、筆者はこのように『教養』を読者に要求してくるギャグまんがはどうだろうか、と思う。
自マンじゃないけど、ない頭を使いたくないからそんなのばっか読んでるのだし。三国志に限らず中国のお話にはよくある場面、学がないと分からないようなジョークや警句を誰かが言って、人々は『ほぉー』と感心する。そういうときにそのイミの分からない筆者(らの無学者)は、『焚書坑儒!』などということばを脳裡に思い浮かべている。
あ…いや! ≪フロイト-ラカン≫の正しい精神分析に興味をもっているわれわれは、その『焚書坑儒』をされる側でしかありえないので、冗談にもそんなことは言っておれないが。

ま、ともかく。まずはこの本のカバーを見ると、そこに描かれているのは、長州力みたいな半裸で長髪の男が劉備、セントバーナードが関羽、セイウチが張飛。そしてこの3者が『われら 三童貞! 生まれた種は 違えども! 死する時 も童貞で ある事を 欲さん!』と、桃園ならぬチェリーの誓いを立てている。だから今作は、題材的には『童貞 - 動物 - 三国志』、というまんがなのだが…。
しかし『どうしてその三題話になってるの?』、と聞かれたら、『オレの知ったことかッ!』と逆ギレしてしまいそうな自分が怖い。自分の中に潜んでいそうなケモノが怖い。

ただしそのような場合に『それは作者にでも聞け!』とは、口が裂けても言わない。それを言ったら、≪読者≫として大惨敗だ。てゆうか、作者ごときが作品の≪意味≫を知っているわけがない。じゃ、けっきょくは自分で考えなければならない。
が、いきなりはそれが分からないので、ともかくも実作にあたってみれば。こうして劉備が登場している以上、この作中には、曹操もいるし孫家の誰かもいる。さもないと、三国志っぽくならないし。まずはそこらを、ご紹介しとけば。

で、今作中の曹操は、どうしようもなく『性交がしたい』という一念にこりかたまった田舎のメガネ青年で。それを神に願かけて、ここには書けないような卑語を1ヶ月に800万回(=1分間に180回、らしい)唱えるという超荒行に成功し、そして一種の神通力を手に入れる。
そのパワーを用いて彼は、近所の家畜や山の動物らをどうにかしまくるのだが。というかこの曹操クンは、こんどは逆に神から呪いをかけられて(?)、期限内に800万回の性交を行わないとたいへんなことになるらしい(!)。

そして今作中の孫策は、西川口の風俗街に入りびたっている≪左門豊作≫みたいなモッコスで(九州人かどうかは不明だが)。彼は『動物のオスたちもたまって困っているはずだ!』というふしぎな善意から、動物用の風俗店をその地に開こうと思い立つ。
なお、彼をサポートしている相棒の周瑜が、今作ではちっちゃなシマリスとして描かれており、かわいい~! これはいわゆる『萌え』なポイントとしてチェキっておくとして、しかしそんな要素はまったくこれだけだッ。
かつ。そもそも孫策がそんなおかしいことを考え始めたのは、むかし周瑜クンが風俗店に入ろうとして断られるのを見たから(!)…だそうなので、かわいいけれどこの畜生は!

さてこのように、今作における三国の英雄たちを見てくれば。劉備は自分と、同志の童貞獣たちの童貞を守り抜きたい。曹操は、相手かまわずというか種族さえもかまわず、たいへんな回数の性交をこなしたい。そして孫策は、動物相手の風俗店(屋号:『野生のOH!コキ 本番中』)を成功させたい。
と、3者それぞれの野望が、まったくかみあっていない。分かっていたことだが、それを字に書いてみたらすんごく力が抜けた。

そしてこのように細かく(?)読んでくると、何となく『これもありだな』という気がしてくるのはふつうの現象だ。まったくわけがわからない作品ではあるが、しかしむざんに要してしまえば『性欲のたけりをもてあますオスども』という、あまりにも普遍的かつ共感のありそうなところを、こっけいな『英雄譚』として戯画化しているのであり。

だが、三国の英雄らの中で、劉備だけその行動がストレートでない。彼は童貞を守れ、童貞に誇りを持て、童貞の讃歌を歌おう、とは言っているけれど、実は性交をまったくほんとうにしたくない…というのでもなさげ。誘われればいそいそと、合コンに出席しようとしたりするし。
ましてこの童貞王こと≪劉備獣四郎≫には、『性欲がない』というのでは、まったくない。いやそれどころか、ゾウアザラシが極海の氷上にハーレムを築いていると聞けばじゃましに行き、サケの集団での生殖が気に喰わないと言ってじゃましに行く、といった彼の≪行為≫らは、明示的に『嫉妬心』からのものに他ならないわけで。

そしてそのような彼の強力な性欲が、彼と生き別れになった『息子』の劉禅にこり固まって海上で超巨大化し、パニックをひき起こす。そこで劉備は何とかそれをソフトになだめようとするが、対して孫策は店のPRのために、その勃起を処理してみせようとする。そして曹操は、勇敢にもそれを性的対象とみなしてアタックをかける(!)。
かくして3人の英ケツが大詰めで、やっとそこで出遭(いそこな)ってしのぎを削りあう。…というこの作劇を、『巧妙である!』とほめる気がなぜかしないが。ともあれ筆者には、特に合理的そうな理由もないまま、劉備が自らの童貞を誇りそれを守ろうとする、ということのふしぎさが強く印象に残ったのだった。

 『熱き性欲 秘するが花よ
 子孫残さず 夢残せ』 by 劉備獣四郎(p.138)

ところで皆さまは、精神分析の≪昇華≫という用語をご存じやも知れない。超簡略に言ってしまえば、それは性欲がスポーツや学業によって発散されるようなことだが…。別の言い方だと性欲を、人間を駆動する一定量のエネルギーと見て(力動論)、それをあっちで使用してしまえばこっちで使う分がない、のような話だが…。
ただしそういうことが、『現にある、必ずある』とまでのはっきりした話ではない。むしろそれは『なければ困る』、分析理論のつじつまが合わなくなって困る、という理論的要請の産物のような感じもある。
しかもフロイトの理論の特徴として、万事を『結果から』事後的に論じているのであり(ゆえにまちがわないのだが!)。つまり、人が何か大きなことをなしとげたのを見て、『これは性欲が昇華された結果であろう』と言うのだ。その逆が可能なのかどうかは、実はいまだに分かったことではない。

だから。『性欲をもてあましています』と訴えるクライアントに対して、『≪昇華≫をしなさい。何か別のことに打ち込みなさい』と告げる、という分析家の対応はないはずだ。むしろそのクライアントの問題は、性欲なんて誰もがもてあましているのに(!?)、それをわざわざ言う、というところだろう。
かつまた。そうやって考えたら精神分析というおしゃべりは、関係なさそうなあれこれの症状を聞いて『それは性欲のしわざです』と答える、そのルーチンばかりを大得意にしており。そして、『ではその性欲をどうすれば?』というその次の問いに対しては、とりわけ巧みな返答がない。
で、われらのヒーローたる劉備獣四郎が、『童貞を守るぞ!』とやたら言い立てていることが、その≪昇華≫をしようという試みになっているのや否や? それはまあ、明らかに成り立っておらずダメなわけだが。

そして、そろそろ今作の『童貞讃歌』というフィーチャーについて、そのなぞ的性格について、最終的なことを。
『生まれたときから童貞なんだから、これでいいんだ!』、『さいしょに地球上に現れた生物は必ず童貞だったはず、よって童貞は正しい生物の姿だ!』、といったような劉備の主張に対し、『じゃあ、劉家は先祖代々りっぱな童貞だとでも言うの?』、と返したいようにも思いながら。だが、彼においてかんじんなのは、口で言っている≪貞≫という部分よりも、実は≪童≫であり続けたいということなのでは…という気がする。

つまりはよくある、成熟を拒否しているということだし。その傍証として、劉備は実家からの仕送りで生活してるそうなので(p.65)、ほんとにまったく成熟できていない。
かつまた、≪生殖≫とは『自らの死をわが身に織り込む』ことでもあるので、そこをもまた劉備は拒否したいのではッ? すなわち、交尾をするとそれっきり死んでしまう生き物が多いということは、おそらく皆さまもご存じの事実。
そういえば超うろ憶えだが、確か尾玉なみえ先生がどこかで、『羽化するとすぐ死んじゃうし』と言って幼虫であり続けるセミを描いていたような? そしてそのことは、『交尾すると死んじゃう』、というふうにも描きうる。

かくて劉備と彼の率いる童貞獣どもは、性交というものの意味とその結果を引き受けたくないので『童貞フォーエバー!』なのだが。しかしその性欲はつきず、そして≪享楽≫に対する興味は超しんしんでもある…という葛藤煩悶を味わっているのだ。
ただしこの態度を、とくべつに偽善的だと言う気もしない。なぜならば、『性交というものの意味とその結果を引き受けたくない』とは、ひじょうに多数の“誰も”が考えていることなので。
そこを一般人らが姑息なテクノロジーや意図的な忘却(むしろ≪抑圧≫)で処理しているところを劉備らは、とりあえずまじめにそこへ向き合っているのだ。で、その表面的で一面的なまじめさが、われわれには喜劇的に見えるのだが!

と、いちおうの答を出してみたところで、この堕文はここらで終わる。なお、確かルノアール兄弟には他にも≪童貞≫をテーマにした創作があったはずなので、そこで再びこの問題にふれるだろう。はっきり言って、実は現在≪童貞論≫はアツいと思うし。
にしても…と、さいごにオレの中のケモノは言っている。こんなりくつっぽいおしゃべりじゃなくて、今作の感想としては、『シマリスの周瑜クンがかわいー!』とか言ってすませとけばいいのに! ほんとに!

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