2010/02/27

川島よしお「グルームパーティー」 - 新宿西口、メトロポリタン・ディルドー

 
参考リンク:Wikipedia「川島よしお」

Mid 1990'sから活躍中の4コマ作家の、デビュー作であり出世作(少年チャンピオン・コミックス, 全5巻)。まずこのシリーズの、表4のあおり文句がテンション高くていい感じなので、ちょっとご紹介しときたい。

 『4コママンガ不毛の時代に すい星のごとく現れた新鋭、
 川島よしお待望の初コミックス!!』(第1巻)

 『最良の4コマを 青年誌に求める時代は終わった!!(中略)
 これ読まずして4コマを語るなかれ!!』(第3巻)

…といういきおいは大いに買いながら、はて。このシリーズの第1巻の出た1996年は、『4コママンガ不毛の時代』だったっけ?…というのが、やや分からざるところ。
だが、その次の第3巻へのあおりを見てみると、言われた意味が多少は知れる。つまりあおっている人自身が『最良の4コマを 青年誌に求め』ていたが、しかしその期待が、このMid 1990'sには報われなくなったのだろう。

じっさいそれは、Late 1980'sには≪ギャグまんが≫全般の最先端でもあった青年誌の4コマが、もはや振るわなくなった、という時代ではあった感じ。かと言ってそれは、逆に少女誌の4コマがよかった時代では?…とも思うのだが、まあそれは別によい。

で、そのような時代に出た今作が、やってたのは『前向き』なことか?…というあたりが断言しがたい。あおり文句の文言に引っ張られているから逆にそう見えるのだが、そこで想定されていそうなLate 1980'sの青年誌の4コマの傑作…「傷だらけの天使たち」や「伝染るんです。」らがやったことを、今作は『先に進めて』いるだろうか?
むしろそれらがやり残したところを、異なるテイストで埋めてるくらいでは?…との気もしてくるのだった。ただし筆者は、この作品に盛り込まれている、その『異なるテイスト』を大いに愛するものではありながら。
で、その時代に、もう少し“イノヴェイティヴ”なことをやった作品らというと思い浮かぶのは、やはり「行け! 稲中卓球部」、「LET'S ぬぷぬぷっ」、そして「すごいよ!!マサルさん」、というあたりかと(少女系は除外して)。

…と、たったいま見たMid 1990'sのびみょうにも革新的だった傑作3本が、いずれも4コマ作品ではない(「ぬぷぬぷっ」には、多少4コマ要素があるが)、ということは偶然ではない。なぜって別に言いたくはないことだが、「伝染るんです。」よりも新しいスタイルの4コマは、いまだないと考えられるからだ。
で、これを言い切ると、≪ギャグまんが≫として有効なそれ以後の4コマ作品らの間の≪差異≫は、テイストや題材の違いのみ…ということになってしまうま(!)。そしてそうとはしても、やや超えてるかな…と感じられるその後の4コマ作品は、今21世紀の倉島圭「メグミックス」と氏家ト全「妹は思春期」くらいではッ?
で、世紀が変わってそうそうにその『プチ・ブレイクスルー』をやってみせた2作が、ともに『“女性”という存在、そのなぞ的性格、“女の欲望”とは何か?』、というところをテーマにしていることもまた、まったく偶然ではない。

…なんてかた苦しいことを言ってないで愉しめばよいのだし、そして今作は大いに愉しめる作品だとは認めながら。というか、いまパラパラと見ていたら『ひじょうによいなァ』とも感じた。
とまでを書いてからちょっと外へ買い物に出かけたら、途中の公園で4年生くらいの女の子が平気で(?)パンツを見せながら、登り棒を登っていた。別にロリコンではないはずだが、むしろミセスの方に興味があるくらいだが、しかし正直なところ、『この、“生”と呼ばれる煉獄の中にも、わずかには歓びが?』…と感じてしまッたことは厳秘にて。
そうして今作の一大フィーチャーが≪パンチラ≫という物件であり、特にその第1巻には、イヤというほどに出てくる。その中で筆者が特に好むネタを、1つご紹介いたす。

 ―― 川島よしお「グルームパーティー」, 第1巻, p.26より ――
『ビル風いやあああ あああん』と叫びながらお姉さんが、めくれてしまうスカートを押さえている。そして『ヒョオオ オオオ オオオォォォ…』と強風の吹きすさぶ音が聞こえつつ、視点がズズズズ…と後退していくと、新都庁の高層ビルがニョッキリと中空へそそり立っている。題して、『都庁物語』。

スズキとか青島とか石原とかいう連中が≪権力≫に託した≪欲望≫のそそり立ち、ニホンのパンクロックのザ・スターリン「電動こけし」(1980)という名曲は、西新宿の高層ビルらを『ソレ』に見立てたものだが、ほぼ同じことが艶笑ギャグとしてこっちには描かれている。そしてそのいわゆる『下ネタ』を≪艶笑≫などという古いことばで形容したくなるのは、この作者の強力に打ち出している『レトロ』なテイストゆえ。

…と、パンチラの話だけに終始も何なので、「グルームパーティー GLOOM PARTY」(ヴェルレーヌ「艶なる宴」に対抗して、『ウツなる宴』とでも訳すべきか)という今作の題名について。
ズバリ『グルームパーティー』と題されたネタがあり、ソレはチャブ台を囲んだ家族かと見れる3人が描かれて、父は大昔の学生らの集合写真を示し、『こいつは戦死した こいつは進駐軍に殺された こいつは餓死した』…などと言う。ツッパリ風なムスコも対抗して、不良だらけの卒業写真を示し、『こいつはバイクで死んだ こいつも事故って死んだ こいつはエイズで死んだ』…などと言う。そンな話を言ったり聞いたりしてはゲンナリしてるばかりの父子に、母はさいさい『やめなさいよ』と言うが…(第1巻, p.16)。

というわけでつまり『グルームパーティー』とは、おおむね『お通夜』のことかのようだ。カタカナ語にしてカッコよさげに粉飾はしてるけど、ギャグまんがの題名に『お通夜』とはハイパーだ…!
そしてゲンナリするしかないにもかかわらず、このおかしな父子は≪死≫または≪喪≫というものの味わいを反芻することを延々とやめられない。この状態をフロイト様っぽく言うと(?)、「喪とメランコリー」(1917)でありかつ≪反復強迫≫であり…なんつて!

なお、さいごに。筆者は今作中では≪さそりちゃん≫という奇妙なヒロインのシリーズが大好きで、『その話題を前に書いたはずだが』…と思ってさがしたら、ちょっと意外なところで紹介していた。
そんなのは構成としておかしいが、でもそのてきとうさが『ありかな』と錯覚したので(!)、それはそっちでいずれ日の目を見るだろう。ではまた!

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