2010/02/16

うすた京介「ピューと吹く! ジャガー」 - ボクたちの笛チシズム入門

 
参考リンク:Wikipedia「ピューと吹く! ジャガー」

筆者が世田谷に住んでたころに通っていた銭湯は、番台と脱衣所の間の『ロビー』と呼べそうな場所にいろいろな雑誌と新聞が置いてあって、行くと自分は少年ジャンプと少年マガジンを拾い読みしていた。
そうしてそこで見ていた作品らと言えば、ジャンプでは「デスノート」、「メゾン・ド・ペンギン」、「太臓もて王サーガ」、マガジンでは「女子大生家庭教師 濱中アイ」、「さよなら絶望先生」、「ケンコー全裸系水泳部ウミショー」、あとついでにヤングジャンプの「性的人間」…と、題名を列挙してるだけでも想い出深いものがある。近ごろはまったくやらないが、やはり掲載誌で読むことはいいな…という気がする。

で、今作こと「ジャガー」も、当時フロ屋で見ていた作品らの中の1編なのだが。これについてはまさしく『出遭い(そこね)』と申すべきで、第一印象があまりよくなかった。さいしょに見たエピソードが、あまりよくなかった。
すなわち。われらのヒーローたるピヨ彦くんがフトンで寝ていると、天井の板を外して、ヒップホップ忍者のハマーが顔を出す。そうして確か、『ついに拙者は、発見したでござるよ。ヒップホップのライムは韻を踏んでるということを』と、分かりきったことを力説する。反応しようもなくピヨくんは、真下からへんな目でハマーを見ているばかり…というお話で。
後に単行本で再読してみても、このエピソードはきもちわるいばかりで、笑えるところがなかった。コレの前後のエピソードも確か、あましテンションが高くなかったような?

いや、長い連載の間には、そういう調子の高くない時期もあるかとは思う。そしてそのような時に、今作と筆者との『出遭い(そこね)』が生じちゃったようなのだった。
だからそれから2年近く、今作と筆者との間には距離があったままだった。しかしこれが、現在においてもっともポピュラーなギャグまんが作品の1編なので…と考えて、第1巻からちゃんと読んでみて。やっと!…そのすばらしさを知ることができたのだった。

が、くわしいところは、いつか本格的な『うすた京介論』の方に書きたいので。いまはまず、いちばんさいしょのピヨちゃんとジャガーの遭遇劇だけ見ておこう。

そして重ねて『まず』、と言うが。今作の超最大のモチーフが『笛』というアイテムだということは、読んでる方々に対しては、申すまでもなさすぎ。
学校の教材のソプラノ・リコーダーというアイテムが、今作ではもっぱら『笛』とか『ふえ』とか呼ばれている。で、そのふえというものが作中では、何らかの≪外傷的≫な記憶らを呼びおこす≪シニフィアン≫なのだ(分析用語で≪シニフィアン≫とは、『意味ありげだが意味不明な記号』)。

と申しながら筆者は、≪ギャグまんが≫を過剰に読むようになるまで、あまりそういう認識がなかったが。がしかし。
小中学生がコッソリと、好きな子のふえに“何か”を行う。
…ということが、わりと近年になってその中で、ねちねちと描かれている。中でも「増田こうすけ劇場 ギャグマンガ日和」の描き方は、なかなかにしつこいものがある。 

これは、1970'sのギャグまんがでは描かれなかったようなことだ。ありとあらゆる倒錯行為を描いた(?)かのような「がきデカ」の作中にも、そんな描写はなかったように記憶しているし。かつ、筆者もわりかしスケベな小学生だったかもと自覚するが、しかし女子のふえを舐めようかという発想は、当時ぜんぜんなかった。
「日和」でおなじみの変質少年≪クマ吉君≫のようなオシャレな振るまいは、まったく思いつきもしなかったのだ。いやはや自分は、発想の貧困な子だったのだろうか? そういえば余談もいいところだが、古今のエロ少年2人、昔のこまわりクンはいちおう逮捕する側だったのに、現在のクマ吉君は毎回タイホされている。この2人のきわだった対照性は、興味深いところだが。

で、じっさいには舐めないまでも、そういうことが可能だ、むしろやりたい、やりたかった…という想念が、わりと広汎にあるかのようなのだ。「ジャガー」の主人公ピヨくんが、一貫してふえというアイテムを『みょうに恥ずかしいもの』と考えているわけの一端は、そこらかと見る。
かつ、ふえを吹くということが…。申しにくいが、あからさまにフェラチオを表しているわけだから(命名:笛ラチオ。…すまなすぎ!)。よって、男子が女子のふえを舐める行為は、2重に倒錯的だ。ブルマーのニオイを嗅ぐようなことよりも1段階、さらに倒錯的だ。申すまでもないのだが、ゲイ的なニュアンスもが、そこに付加されているからだ。

この『2重の倒錯性』ということは、ゆうきまさみ+田丸浩史「マリアナ伝説」(2003, ドラゴンコミックス, 全3巻)という作品に、よりクッキリと包み隠さず描かれている。作中のおっさんの回想談として、無人の教室に『クラスのマドンナ』のふえを見つけた彼は、それを舐めたり吸ったりするどころか、『おしりの穴に ぬぷりと!』突き入れる。
そしてその≪享楽≫に酔いしれていると、ロッカーの中から物音が。開けてみると彼女の制服を着込んだ男の級友が出て来たので、彼は叫んだのだ。『この変質者めッ!!』…と…ッ!(同書, 第2巻, p.25-26)。
この少年ら2匹はいずれも、彼女によって≪享楽≫することと、彼女として≪享楽≫することを、同時に敢行している。よってそこにはゲイ的なニュアンスもある…とは、だんこ明らかなこととして。そして筆者は、≪ふえ舐め≫自体がすでにそれだと申しているのだ。

が、しかして。 こーゆうコトらを、『きわめて婉曲に』しか描かないのが、われらの見ているうすた京介先生のスタイルなのだ。

今作の冒頭を見てみよう。のちに≪ピヨ彦≫と呼ばれるギタリスト志望の少年≪清彦クン≫は、レコード会社や芸能プロのオーディションを受けまくるのだが、そのたびに≪ジャガー≫を名のるナゾのふえ吹き青年につきまとわれ、じゃまされる。
白のツナギっぽい服を着て、真っ赤な髪を逆立て、長~いスカーフをなびかせたジャガーは、天才と変質者の共存した珍ヒーローだ。そしてわざとらしく清彦クンにそれとなく、ふえのすばらしさを力説する。

そして開巻そうそう、ありえざる激しいサウンドを笛から叩き出すジャガーの演奏のスゴさにあっさりと、清彦クンは魅了されているのだ。『あ…熱い!! 体が熱いぜ!! 魂もふるえちゃうしよォ!!』と(ジャンプ・コミックス, 第1巻, p.9)。めったにまともに吹かないが、ジャガーの演奏はふえ1本で、たぶんジミ・ヘンドリックスのエレキくらいのスゲぇ音を出すものらしい。
にもかかわらず、清彦クンが『フエなんてカッコ悪いものに 興味はないし』(第1巻, p.11)などと言い張っている『素直でなさ』には、何らかの理由がありげ。それはただ単にジャガーが、その激し~い吹きまくりに続いてふえの『吹き語り』に挑戦し(!)、しかしまったく歌えなかったから…だけではなさげ。 『魅了されつつも反撥している』という、彼のこの状態には気をつけておきたい。

そうしてジャガーは、へんにいろいろなことを言いながら清彦クンにつきまとうのだが。ようするにジャガーは、いやがっている彼に『自分のふえ』を吹かせたい。
そこでジャガーは、清彦クンが深呼吸してる口もとにソーッとふえの吹き口を近づけたり、飲み物のストロー代わりにふえを仕込んだり。さらにはストレートに、吸ってもいい、『最初は 吸ってもいいから!!』と言って吹き口を、彼の顔に押しつける。するとその部位がくさいので、んも~清彦クンはたまらない(第1巻, p.17)。
で、これらのジャガーの所業について、『ホモ行為を迫っているかのようなニュアンスがない』、などと言い張れるような偽善者が、たぶんいるわけない。…たぶん。

なお。作者サマに近いところからの証言によれば、今作のタイトルは当初、『ギンギンですね、ジャガーさんのそれ。』となる予定だったのだとか(第1巻, p.142)。といった話を、ストレートに真に受けることはしないけれど…。
だがしかし。ジャガーのふえをいきりたったペニスと同一視するような見解が、当の書物自体にビチッと見えていることが無意味だとは、とても考えようがない。

とは申しても筆者は今作「ピューと吹く! ジャガー」を、ジャガーが清彦くん…のちに呼ばれる≪ピヨ彦くん≫に対し、ホモ行為を迫っているだけの物語だとは言わない。それもありつつ(!)、『ふえ』という≪シニフィアン≫が≪外傷的≫な記憶らを呼びおこす、その過程を作の中心として、ねちねちと描いたものだ…と見る。
第2巻から明らかになることとして、ピヨ彦くんにはことさらに『ふえ』を嫌う理由が、なくはない。その理由というのが彼の≪父≫に関連するもので、すなわち≪外傷≫のあるところなのだ。
とまでを筆者は、自らのつたない『ジャガー論』のイントロとして書いておく。そしてこの続きが出ることあらば、それは少なくとも、筆者自身にとっての慶事だ。ではまた。

0 件のコメント:

コメントを投稿