2010/02/23

衛藤ヒロユキ「魔法陣グルグル」 - 無礼禁ッ、ダ・リアル・オ~ルドスク~ル!

 
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これは想い出ふか~い作品なので、その分ひじょうに語りにくい。筆者には10年近くもほとんどまんがを読まなかった時期があって、それを打破してくれたのが、今作と「赤ずきんチャチャ」だった。
Early 1990'sという時代のふんいきを濃ゆく映した両作らを、筆者は≪ハードコアテクノ≫系ギャグまんがと呼び、そしてその方向性は、超アップテンポ、ケミカルにハッピーなムード、幼児的エロチシズム、『魔術=テクノロジー』への礼賛、そしてとうぜん≪反復強迫≫的。ここでBGMに、T99、LAスタイル、キュービック22、ザ・プロディジーらの『ハードコアテクノ』の名曲がほしいところだ。グジュギャギャ~!

確か1995年、当時出ていた『エレキング』というテクノミュージックの専門誌に、自分と仲間とのユニット名で、この「魔法陣グルグル」へのレビューっぽい文章を出したことがあった。すると作者の衛藤センセから仲間のアドレスに宛てて、あつい心のこもったお礼のメールが届いたのだった(!)。
いま言うとふつうな感じだが、当時はインターネットではなく『パソ通』の時代だ。で、あらためてこの場に、衛藤ヒロユキ先生への感謝の気持ちをしるしつつ…。

そのころ『テクノ』は、魔法のキーワードだった。テクノといっても当時存在したものはローテックのきわみだったが、それで≪すべて≫が可能になると自分らは信じていた。回想してみれば、すばらしい時代だった! 当時の自分とテクノ仲間たちのことを考えたらそれがまぶしすぎて、いまの筆者があまりにもみすぼらしい燃えカスでしかない。
そんな燃えカスにふさわしき作業として、自分はまたこのみすぼらしい自室のPCに向かって、へんな堕文をぺたぺたと書いているのだろうか。当時にしたって『PC-9801』の『一太郎 Ver.3』などというソフトでぺたぺたと書いていた…というあたりは、そんなに変わってないのだが!

そしてその時のレビューの結びあたりに自分が書いたのは、確か、

『ヒロインの≪ククリ≫がヒーローの≪ニケ君≫を、いつか、彼女が言う“勇者様”ではなくてありのままのニケ君、として見れるようになったとき。そのとき、あらためて2人はちゃんと出遭い直すのだろう』

…のようなことだったはず(もらった掲載誌が仲間の方に行ってるので、いま見れない)。
そして実作のラストの展開が『ほぼ』そのような感じだが、しかし自分がとくべつに目ざといとも思わない。物語をすなおに追っていれば、誰にでも分かるようなことだった。

そうにしても、『いまは反省している』として告白しざんげしたいことがある。自分らのレビューは当時TV放映中だったアニメ版(最初のシリーズ)だけにもとづくもので、原作も読んでなければ何の資料をも見ずに書かれたのだった(!)。
当時の自分らはいまよりもなおビンボーで、あまり本も雑誌も買えなかったのだ。ゆえに有名な≪キタキタおやじ≫の本名が、『アドバーブ』か何かとまちがっていたはず(正しくはアドバーグ)。ずいぶんとズボラかつ≪勇気≫のあったことで、ほんとうに『いまは反省している』。

そもそも自分らは、そのアニメ版だけを見ての印象で『子どものアニメなのに、テクノっぽいテイストがある!』…という発見をしたつもりで感動していたのだが。しかし原作の方を見ていれば、それがもともと『テクノまんが』であることは明らかで、発見もへったくれもない。
ん? いや、そうとはしても、見る人が見なければ『テクノまんが』という認識はできないわけで。などと言うと、ファイヤアーベントのりくつのようだが。
で、もしも『コロンブスがアメリカを発見した』と言い方がアリなら、これも『発見』かも。いまならさしつかえないと思うので書いておくと、確か衛藤先生からのメールにも、『テクノまんがというつもりで自分の描いていたものが、“テクノ専門誌”で紹介されることは大きな喜び』、とあったような気がしつつ。

(大余談:想い出したけど同じ雑誌の次々くらいの号に、当時TV放映中の「新世紀エヴァンゲリオン」のレビューも書いたっけ…やはり資料ゼロで。いまにいたるも無知をウリにして恥じない筆者は、いかなる予備知識もなきまま、単にその作品の内容に沿ったことを書いた。
つまり『少年らにとって、“巨大ロボット”とは何なのだろうか?』といったことを。いまだったら軽く、『それは≪ファルスのシニフィアン≫である』、と述べるところだが。
で、この時に『エヴァン』という略称を使ったら、おたくっぽい人から『“エヴァ”でしょうよ!』というお叱りのメールが届いた。お芝居の中でミサトねーさんが『エヴァン』と発音している気がしたので、そう書いたまでだったのに…)

ところで読んでいる方々はご存じのように、作品の途中で「グルグル」の方向性は、テクノからヒップホップへと転じている。ガンガン・コミックス版の第11巻、『エルエル砂漠のクルジェ(LLクールJ)』のフォローによって聖なる魔獣『ブレイクビー(ト)』が呼び出され、そして『地の王(グランドマスター)のフラッシュ』を浴びて、勇者が新たなパワーに目ざめる、うんぬんと。
ちょうどそのころ、どういうわけだか自分も同じ方向にシフトして、テクノならぬオールドスクール(エレクトロ・ヒップホップ)のレコードを買い漁りまくっていた。まんがを買うお金に困っていても、なぜかレコードを買うお金はあったようだ。
そうしてクラブ音楽シーンのテクノ部門の世界的な流れもまた、『ハードコア全盛→アシッド・リバイバル→ハードミニマル流行りすぎ→エレクトロ・リバイバル→テクノポップ・リバイバル』、となっていったが…(1991-2000)。
途中から明らかに、その歴史が逆行していることはともかくも(けっきょくのところ、『テクノ美学』の最遠到達点は、いまだ“ミニマル”にある)。しかし、その流れのしまいのあたりで自分がぽろりと脱落してしまっていることに、やっぱりちょっぴりさびしさを感じたり。

…等々とらちもなき想い出話のさいごに、そのころ確か丸の内の逓信会館(?)だったかの会場で催された『魔法陣グルグル展』か何かいうイベントに足を運んだ…その時の歓びをしるしておく。確か夏休み中で大盛況の会場、そして夢中になってその世界を愉しんでいる小さな子どもたち…彼らの邪魔にならないようにつとめながら、その無心の歓びを分かちあったコトを。
そしていま断じて想うのは、われらが≪ギャグまんが≫の陣営から再び! このように子どもたちへと無心の歓びを与える作品が、出てこなくてはならない。実に残念ながら、今般そのような作品が見あたらない…という現状があるゆえ。

筆者が申しているのは、≪いま≫のギャグまんが界を盛況と見るにしろ低調と見るにしろ、どうであれ小学生さんらが喜ぶような作品がそこに少ない。このことが確か。
曽山一寿「絶体絶命 でんぢゃらすじーさん」という大傑作が1つあるが、1つだけではやばい。それが大問題だということだが、しかしいまはこのへんで。

2 件のコメント:

  1. 私はテクノもヒップホップも分からず、DQも知らず、グルグルにはまってました。
    小学生まっただなかに読めたことは関係なく、グルグルに会えたことが嬉しい。
    ぜひ、今の小学生も、ふと思い出すと横にいるような漫画に会えること、そんな漫画がたくさんある時代を願います

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  2. 私なんかはどうしても大人ですから、ちょっとかたいことでも言わないと、少しかっこがつかないかな、と考えちゃうわけですが。
    でもほんとうにおっしゃる通りで「グルグル」は、パワフルでかわいくてめちゃくちゃで楽しい、りくつぬき知識ぬきで楽しめて、そして思い出すだけで心が温かくなる、すばらしい作品だと思います! これからもぜひそういう作品があることを、ご一緒に祈りましょう(笑)。

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